自分という光を生きる ~成長のたわみ~





今は高1になった長男が、まだ3歳の頃。

主人の転勤で慣れない土地に暮らしていたその場所で、近くにあった保育所に長男を通わせ始めた頃のこと。




何だったかは忘れたけれど、長男への関わり方で少し悩んでいたことをノート(日々のやり取りをする先生との交換日記のようなノート)に書いて先生に渡したら、印象に残るお返事とともに一冊の本を貸してくれました。



借りてすぐ、夢中で読んで少しメモして。
そのノートを大切に引き出しにしまって、心のお守りみたいに思っていました。

あれから引越しを何度も繰り返したけど今もどこかの引き出しに残してあります。

とても印象に残る出来事であり、私を支えてくれた言葉になりました。





今朝、ふと目にとまった気になった言葉を辿っていくと、ある方に辿り着きました。
お名前は、高垣忠一郎先生。



すぐにはわからなかったんですが、じわじわと「ああ、あの時の本の著者の先生だ。」とわかり、そうすると何か点と点がやっと繋がったようなちょっとした抜け感がありました。



当時借りた本のタイトルは、
「揺れつ戻りつ思春期の峠」。





3歳の子供の悩みなのに保育所の先生が貸してくれた本のタイトルには「思春期」とあって、少し(?)でしたが、どの年齢に対しても通用する内容だった気がします。

もう部分的にしか覚えてなくて、うろ覚えなのですが。




とてもいい本でした。悩んだり日々に疲れたりしている心にほっとする風を吹かせるような。

印象に残った箇所を、15年近く前の記憶で私流の言葉で説明すると、






人は、成長の過程で何回も「たわみ」がくる。

ギターの弦も貼り詰めれば切れてしまうように、たわみがない成長をしようとすると人生のどこかで脆くなってしまう。

傍から見て、一見失敗や寄り道に見えることこそ「たわみ」であり、必要なことが起きている。

それがその人を更に強くすることとなる。






今その本を読めば、また違う箇所に反応して感銘を受けるのかもしれませんが、当時の私には「成長にはたわみが大切」 だということを教えてくれたのは、高垣先生であり、保育所の先生でした。




今朝、気づいたんです。
あぁ、高垣先生と仰る方だったんだと。
十何年も前のことで、本のタイトルと部分的な内容しか記憶になかったので。
久しぶりに巡り会えたような気持ちでもありました。







その当時の保育所の先生のノートには確か、このようなことが書かれていました。


「Sくん(長男)は、花で例えると繊細でお世話にも少し手がかかるバラタイプなのかもしれませんね。人にはいろんなタイプがあって、いろんな花が咲きますね。」




今もよく、この言葉を思い出します。
この言葉に当時の私は、納得したり助けられたりしましたから。

長男は確かに当時はバラタイプのような子供だったのかもしれません。
そう思うことで、少し子育てが楽に感じて助けられたのは事実です。






今にして思えば、それがいい悪いではないけれど、疲れた私が長男に「バラタイプの一面を見ていただけ」だったんだと思います。

見知らぬ土地、見知らぬ人たちの中にいて、いろいろな事が重なり当時の私は心身ともにかなり疲弊していました。

弱っていた私は、まともな判断が出来なくなっていたし、長男にもどこかで 自分の思い通りに動いて欲しいと、無意識に何かを「求めていた」のかもしれません。







本当の長男は、今はどんなタイプかはわかりません。なぜなら、確かに今も繊細さは残っているけれど、バラタイプに収まらないであろう たくさんの可能性と未知の光を秘めていて、判断できない気がしたし判断しない方がいい気さえしたのです。

(もちろん、今でもバラタイプの一面も持っているのかもしれないですが、そこはあくまでも一面でしかないということです。)







これは、誰にも言えること。

次男が幼い頃の私は、「長男がバラタイプならこの子は何タイプかな。おおらかだけど強く明るい、たんぽぽ?ひまわり?」
なんて思っていたのですが、今は違う一面をたくさん見せられて、次男の未知数に驚嘆している最近です。

例えば、見た目はおおらかで明るいけれど、対局に思えるような繊細さも持っていて、それは長男を上回る程です。 
繊細さを明るさでカバーしていただけだったのかもしれないと、最近はよく思います。






人を何かの枠に入れることはしたくない、これは最近私が強く思うこと。

言葉も枠。名前も枠。
誰かが誰かを思うイメージも枠。




できるだけシンプルにその人を見たい。

その人の一面は、あくまでもその人の一面。
一瞬一瞬、私たちは変化していて留まるところを知らない「光」の存在なのだから。




自分で自分を縛るような「自分へのイメージ」も、大切な誰かを縛るような「その人へのイメージ」も。

旅行に行くと、何かが解放されたようになってそこから人生が開けるようになる人がいますが、あれも一瞬の「枠」から抜けた状態になったのでしょうし、その土地のエネルギーという追い風が吹いたのかもしれません。








一度 思い込みの枠をクリアにして
リセットして、観念を解き放つ。








私たちは、本来は「光」

名前もなき 「光」


ただ ただ 
ひとつの光である命を生きる










イメージを 解き放ち、
自分という光を生きる。









それは難しいことではなく、

日々の一歩が奏でるハーモニーのように
歩いた道が軌跡になっていくのだと思うし、
それこそが とてもシンプルだけど力強い
光になっていくのではないかと思います。







次男も長男も、事情があって学校へは行きづらいのが現状ですが、今とてもいい表情で日々を生きています。







光は自ら輝く。
内なる泉から湧き出る力で輝く。








迷う日もあるし、いろいろなことがあるけれど、見える世界にとらわれることなく、その奥のその人本来の光を大切にしたいと考えています。

子供たちは私の人生の先生。
一番大切なことは、彼らとともに生きる日々から学んでいるような気がします。














Light and Wind ☪︎.° 光と風

rainbow.earth.garden~光の庭~ブログ

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